竹内浩三を知ったのはTHE BOOMの宮沢和史さんの「詞人から詩人へ」(川出書房新社刊)という本であった。その本は彼の好きな詩人の詩が紹介された詩集。その冒頭、最初の詩が「骨のうたう」であった。たぶん僕は頭で理解してはいなかったと思う。恥ずかしながら人々が賞賛する「がらがらどんどんと〜」のくだりや、遺骨の視線や、日本の復興を予見していたかのような…というところで彼の詩を覚えていたのではない。ただユニークな人だなという程度であったと思う。たぶん一番印象に残っていたのは「ひょん」と人が死ぬという表現かもしれない。
その後、僕は伊勢に縁を強めて行く。お世話になっているピアニストの方に三重県鈴鹿市にある「椿大神社(つばきおおかみやしろ)」という神社の暦がすごく良いと教わる。僕は、理由も無くその神社に行きたいと思った。もともと神社仏閣などが宗教と関係なく好きであったので、単純な発想だったかもしれない。しかし、いつもなら数日で忘れ去られるであろうそんな話がいつまでも頭に残っていた。妻の両親が現在三重県にいる事もあり、遊びに行く機会があったら行きたいと思っていたからであろう。しかし、仕事が忙しいままその機会にはなかなか恵まれなかった。そんな折、会社の仕事で名古屋に行く事になった。僕は、ついでに三重に行く事に決めた。また名古屋の大学の先生から伊勢神宮(三重県伊勢市)の神宮会館の冊子に「心尽」ってあったのよと教えられる。「心尽(こころじん)」というのは僕の造語。ジョンレノンのイマジンの五感をまねて心尽。心を尽くす心尽。そんなオリジナルの造語のはずの単語が冊子の名前になっているとの事であった。たぶんそっちは「こころずくし」と読むのかなぁ。いずれにしてもまたひとつ伊勢に親近感を覚えたのは確かだ。さらにその頃、詩の朗読をしようとネットで詩人を検索していて竹内浩三に再会する。調べて見ると彼は伊勢の出身であった。彼の人となりを知って僕は彼が好きになった。「伊勢」にシンクロニシティを感じた。呼ばれてるって。そして僕は、椿大神社と、伊勢神宮に行った。伊勢神宮では内宮だけでなく浩三が遊んだであろう外宮も行った。浩三のお墓には行く時間がなかったが近いうちに行きたいと思う。
竹内浩三に関する書籍を読みあさった。読めば読むほどユニークな人物であった事がわかる。僕は彼の詩に、いや彼自身に魅了された。彼の明るさに、いたずらな笑顔に、自由人なところに。自分と同じニオイを感じたと言えばいいだろうか。この人好きだなってね。彼は23歳で兵隊としてフィリピン島バギオで戦死した。彼は職業詩人ではなかった。映画監督になりたかったただの青年。繊細な青年。戦争反対を正面から訴えるような性格ではなく、嫌だけれども逃げるのも嫌で、時に立派な軍人とあろうとし、時に自由人であろうとした。戦争中に今の時代の若者が読んでも古さを感じさせない詩や文章を書いた。彼の死後、彼のお姉さんが彼が書き留めていた詩や、筑波日記と題された軍隊生活の日記などを保管。様々な縁で発表され、たくさんの彼に共感する人の手によって世の中に知られるようになる。天性の詩人として多くの人の心に彼の詩が響く。それは時代をこえ、現代人の心をも打つ。
ページトップの空の画像にかかれた「うたうたいは…」という詩は僕が大好きな詩である。
僕の生きる指針でもある。そう僕はうたうたいだったんだ。と改めて気付かされた。
「ぼくもいくさに征くのだけれどー竹内浩三の詩と詩」 稲泉 連 著
声優ナレーターとして、僕ができること。僕が「うたうたい」としてできること。それは朗読かなと思う。ひょうひょうと明るく、彼がそうであったというように無邪気に彼の詩を紹介したい。これは僕の挑戦でもある。終わりのない挑戦。今読むものが今の精一杯であるが、未来にわたってのベストではない。明日の方がきっと人生のヒダの分、うまく読めるはずさ。朗読の会もやっていきたいと思う。
とにかくこのページを通じて竹内浩三という人と向き合ってみたいと思う。
佐々木健(ささきたけし) 所属:アクセント
2000年、ベンチャー起業を渡り歩いた末に声優ナレーターとなる。大学時代は、軽音楽部でギターとボーカルとして作詞作曲活動、精力的にバンド活動を行っていた。現在、2児の父。IT起業に勤めるかたわら声優ナレーターも生業とする。
代表作:ロマンシングサガ-ミストレルソング(ジャン役)
世界遺産DVDコレクション(発売中)ナレーター
CSI:2,3,4(ベガ刑事役)、十二国記(夏官長大司馬役)
その他外画、アニメ、CMなど多数。
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