第3話「『しるこ』 ニューヨーク、パリへ」

しるこ 芥川龍之介

久保田万太郎君が「しるこ」のことを書かいているのを見、僕もまた「しるこ」のことを書いて見たい欲望を感じた。関東大震災以来の東京は梅園(うめぞの)や松村(まつむら)以外には「しるこ」屋らしい「しるこ」屋は跡を絶ってしまった。その代わりにどこもカフェだらけである。僕らはもう広小路(ひろこうじ)の「常盤(ときわ)」にあの椀になみなみと盛った「おきな」を味わうことは出来ない。これは僕ら下戸仲間の為には少なからぬ損失である。のみならず僕らの東京の為にもやはり少なからぬ損失である。

 それも「常盤」の「しるこ」に匹敵するほどの珈琲を飲ませるカフェでもあれば、まだ僕らは幸せであろう。が、こういう珈琲を飲むことも現在ではちょっと不可能である。僕はその為にも「しるこ」屋のないことを情けないことの一つに数えざるを得ない。

「しるこ」は西洋料理や支那料理と一緒に東京の「しるこ」を第一としている。(あるいは「していた」と言わなければならぬ。)しかもまだ西洋人たちは「しるこ」の味を知っていない。もし一度知ったとすれば、「しるこ」もまたあるいは麻雀のように世界を風靡しないとも限らないのである。帝国ホテルや精養軒のマネジャー諸君は何かの機会に西洋人たちにも一椀の「しるこ」をすすめて見るが良い。彼らは天ぷらを愛するように「しるこ」をも必ず――愛するかどうかは多少の疑問はあるにもせよ、とにかく一応はすすめて見る価値のあることだけは確かであろう。

 僕は今もペンを持ったまま、はるかニューヨークのあるクラブに西洋人の男女が7-8人、一椀の「しるこ」をすすりながら、チャーリー・チャップリンの離婚問題か何かを話している光景を想像している。それからまたパリのあるカフェにやはり西洋人の画家が一人、一椀の「しるこ」をすすりながら、――こんな想像をすることは風流人の仕事に相違ない。しかしあのたくましいイタリア王国首相ムッソリーニも一椀の「しるこ」をすすりながら、天下の大勢を考えているのはとにかく想像するだけでも愉快であろう。(終)

※聴きやすくするために、一部修正を加えています。震災は関東大震災に、紅毛人は西洋人、閑人は風流人に、ムッソリーニは肩書きを加えて読み替えました。

文豪・芥川龍之介が1927年(昭和2年)に書いた「しるこ」というエッセイ。お菓子会社の広告として依頼され書かれた文章とのこと。そこに3軒のしるこ屋が登場するのだが、現在まで残っているのは1軒のみ。それが浅草に本店のある「梅園(うめぞの)」である。今では各デパートなどにも出店しているので、お口にする機会もあるであろう。ドラ焼は大きくて美味い。芥川の友人の久保田は、しるこを若い人たちが飲むと言う表現がおかしくてエッセイを書いた。曰く「汁粉は「食う」あるいは「食べる」もので、決して飲むものではない」と。そこからこの物語は始まる。今回、読み手はなぜか喜劇として読んだようです。

芥川龍之介「しるこ」 ナレーター&文 佐々木健

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